鹿野道彦元農林水産大臣の著書「農・林・漁 復権の戦い―1年9カ月の軌跡」が発売されました。皆様には、民主党政権、民主党農政、これからの食料安全保障と日本農業を考える上で、ぜひ、ご一読いただきたく存じます。なお、6月26日に出版記念パーティを開催されるとのことです。
鹿野元大臣の農林水産大臣時代の回顧録で、政局の話は殆んどなく、民主党の農林水産政策、その実現、復興政策等について、書かれています(農水分野は戸別所得補償をはじめ、マニフェストの達成率がもっとも高かった)。因みに、鹿野元大臣と輿石前幹事長の会談に同席した議員として、206ページに私も登場します。
この回顧録を読んで、改めて感じるのは、鹿野元大臣が、民主党を分裂させないために、たえず党内調整・政策調整、党内調和に取り組んできたこと。
たとえ狭き門であっても、その狭き門の先にしか光が見えない時、門柱に衝突することなく、その狭き門をくぐりぬけるようなことが、政治には、時として要求されると思います。鹿野元大臣は、狭き門をくぐりぬけるための芸術的ともいうべき調整手法で乗り切ろうとし、そこに全政治生命を賭けたといって過言ではないと思います。
民主党の第一の分裂の危機は、実はTPPをめぐる2011年11月でしたが、この時は鹿野大臣が農水大臣の職を賭して、辞表を胸に、まさに体を張って回避したのでした。第二の消費税の危機を乗り越えることが出来ず、民主党は分裂してしまうのですが…。
調和・架け橋の困難さは、時として、両方の極の人たちから不信の目で見られるということです。鹿野大臣には、反対派・離党組の人たちからは、「執行部の猿芝居」などと酷い言葉が投げつけられました。
また、常に党内融和を唱えた鹿野元大臣を「純化路線派」の人たちは、
(当時の官邸もおなじ民主党の仲間を追い出そうという意思を持っていたことは、「純化」という彼らが吐いた言葉からも明白である!)
真摯な姿勢を疎ましく思い、
2012年11月には、鹿野元大臣すら純化の対象としようとしました。
私も、この2年間、鹿野大臣の少し近くにおりましたが、どんなに誤解されても、黙して語らなかった当時の鹿野元大臣のお姿を思い出すと目頭が熱くなるときがあります。だからこそ、この著書を、関係者の方にも、ぜひ、お目を通していただきたいのです。将来的には、政治史研究の一級資料となるものと確信いたします。
鹿野大臣が代表になっていれば、鹿野大臣の献策を民主党の国会議員が受け入れていれば、民主党は分裂をすることもなかったでしょう。そして、民主党が信頼を失った最大の原因が分裂にあることを思えば、なおさらのことであります。それとともに、よく大畠章宏代行、中山義活前議員が「我々(鹿野グループ)の出した方針は間違っていなかった」とよくお話になるのですが、今振り返っても、そのように思います。大先輩の議員の先生方と一緒に、鹿野元大臣を支える人間の一人だったことは、私のひそかな誇りであります、
上記の選挙の際のポスターの写真の通り、自民党は、明白にTPP反対と謳っておりました。
TPPの是非はここでは論じません。この自民党のポスターや、「食の安全を守らなければTPP交渉に参加しない」との主張から考えれば、自民党の公約違反は明白すぎるほど明白です。写真には「ブレない」と書いてありますが、ブレまくりです。
それを一言も追及しない、健全な批判精神を失った大手マスコミ。
TPP反対をとなえながら、この公約違反・裏切りを平気で受け入れ、未だに自民党に推薦を出しているいくつかの団体……。
こんな狂った人たちの多いこの時代だからこそ、
せめて、静かに、ひそやかであっても、本当の意味で、信念を貫いて生きていきたいと思います。