(山口二郎教授を講師に第2回協同組合研究会を開催
(今回も私が司会を務めました)
少し古いものですが、掲載させていただきたいと思います。
7月12日、細野豪志議員、郡司彰議員、鉢呂吉雄議員、福田昭夫議員、中屋大介議員、私の六名が発起人となって二回目の「協同組合研究会」を開催しました。
今回は、国際協同組合年実行委員会の土屋博幹事長(全国農業協同組合中央会常務)から国際協同組合年への取組についてご講演いただき、山口二郎北海道大学教授から、協同組合の果たす役割についてご講演いただきました。党内行事が重なる中、十六名の国会議員と二十四名の議員代理の方々に出席いただきました。また、全国農業協同組合中央会、全国労働者福祉協議会、全国労働金庫協会、全国漁業協同組合連合会、全国労働者共済生活協同組合連合会、全国森林組合連合会、日本生活協同組合連合会、農林中央金庫の皆様にも、オブザーバーとして出席いただきました。
土屋幹事長からは、国連が定めた国際協同組合年について、①協同組合が果たしている社会的役割の認知度の向上、②協同組合の発展、③協同組合に関する法制度の整備という三点の目的があることをお話しいただきました。また、政府に対しては、鳩山内閣の際に掲げられた「新しい公共」育成の一環と位置付け、内閣府が積極的に関与すること、各種協同組合を貫く「協同組合憲章」の制定を求めていくことについてお話いただきました。
山口二郎先生からは以下の内容のご講演をいただきました。
「人間が生きていくには、国レベルでは自然災害など、個人レベルでは病気、高齢、子育て、親の介護、貧困、失業などがある。これらのリスクを個人が対処するのが、アメリカ型の自己責任・個人主義社会であり、アメリカには医療も国民皆保険ではない。競争に勝ち抜ける人には快適な社会である。
これに対して日本やヨーロッパは、万人に共通するリスクを社会で対処するように法制度を整えてきた。医療保険、国民皆年金、地域間格差を是正する地方交付税等々を行ってきた。
ただし、自民党政権下の日本と欧州各国では、大きな違いもあった。それは日本においてはリスクの社会化のうち、地域間の格差是正策などでは、補助金や行政指導、公共事業などの結果として達成されたことである。どの地域や業界に事業や補助金を齎すかを決定する官僚や政治家などの権威を持った人間が、自分たちに恭順する業界・団体・地域には慈恵的に保護・恩恵をもたらす「パターナリズム」の要素が強かったのである。このような「パターリズム」によるリスクの社会化は、一九八〇年代までは存在したが、ルール・基準が不明確であり、特定の団体・地域に補助金を「ばらまいた」ことから、汚職・腐敗・癒着を生み、また、一方では非効率や予算の配分・無駄も生み出した。
これらのパターナリズムへの反動として一九九〇年代に改革が叫ばれたが、九〇年代後半に出てきた小泉政治は、社会保障費・地方交付税、公共事業の大幅削減、雇用のリスクを企業から個人に転化する労働市場の規制緩和等を行い、パターナリズムの破壊だけでなく、「リスクの個人化」「リスクの地方自治体への押し付け」「公共セクターの相互扶助の仕組の破壊」まで進めた。
小泉は、「マルかバツか」「敵か見方か」といった物事の単純化や、敵を作ってそれを叩く、「中間団体の否定(政治のリーダーと市民を繋いできた政党や労働組合、農協、医師会等々の団体の否定)」などのポピュリズム的手法を駆使し、マスメディアの視聴者は、これらによって溜飲を下げ、メディアを通じてリーダーと市民が擬似的に直接結びついている幻想を振りまかれたのである。そして、パターナリズムを排そうとした人たちが、権威破壊的な小泉を支持したが、その結果、「リスクの個人化」により、自らが被害者になってしまうケースも見られるのである。
二〇〇九年の政権交代の意義は、「国民の生活が第一」の路線により、リスクの個人化・新自由主義の流れを変え、かつてのパターナリズムではなく、透明性の高い、公明正大なルールに基づいた「リスクの社会化」や再配分政策、社会保障制度の強化を行うことである。農業者戸別所得補償制度は、公共事業の形で村落単位で所得確保を行うよりも、個々の農家を直接支援する公明正大なルールに基づいた格差是正策である。そして、市場原理に偏った日本のバランスを取り戻さなければならない。
生産者と消費者の二項対立はすべきではない。生産と消費は車の両輪である。今後は、生産者でもあり消費者でもある「生活者」という視点が必要である。人間の生活をトータルに考えて、人間の生命・尊厳を守る政治を再建することが民主党の使命である。この理念・方向性に、民主党議員はもっと自信を持つべきである。
そして、市民の側も、市民自身で政策を作り、公共的問題に取り組み、参加することが大事であり、そのためにも中間団体(業界団体、労働組合、協同組合。、NPO)等の重要性を再確認する必要がある。小泉は中間団体を「組織益のみを追及するもの」として排除したが、中間団体の衰退によって、市民の政治参加の機会は低下し、政治は一層貧困になった。
今、日本には、強いリーダーは必要ない。強いリーダーが間違いを犯し、国民が酷い目に遭うようではいけない。日本は、「社会を強くする」ことが必要である。すなわち、社会に色々な中間団体を作って、個人がそこに入って連帯することが必要である。中間団体こそ、市民の政治参加の単位であり、今こそ、再生と復権が求められている。
なお、第一次産業は、生命産業であり、自然環境の一部であり、文化・伝統である。他の産業のように市場原理のみでその価値を判断すべきではない。一次産業の企業化・株式会社化を行い、利益のみを追求させることは間違いである。採算が合わなくなったらさっさと逃げ出すということでは農地は荒廃してしまう。第一次産業に関連する食料は言うに及ばず、市場原理に基づいた価格だけでなく、リスクとか安全、自然環境といったものを考慮してモノを消費するという新しい生き方・ライフスタイルを確立すべきである。その意味においても農協や漁協など、第一次産業の人たちの作る中間団体の役割は非常に重要である。」
私は、「労働組合と協同組合は、政治的経緯から異なる政党を支持する傾向が強かったが、新自由主義・市場原理至上主義に対抗し、市場の行き過ぎや格差を是正するという共通テーマに対しては、提携・連携することがあってもよいのではないか。」と質問しました。山口先生からは、「まさにそれが必要。特定の政党とのみくっつく時代ではなく、色々な政党の中で共通する問題意識を持つ個人を支持したり、情報提供する関係を構築すべき」との答えをいただきました。
当研究会は、今後も定期的に開催する予定です。国会議員の協同組合への理解が深化し、法制度の整備が進むことで、協同組合がより社会的役割・機能を発揮できることを願っています。