仙谷由人先生の突然の訃報に接し、大変驚いています。仙谷先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
私が現職一期目の際には、私は鹿野道彦先生の素交会に所属していたこともあり、仙谷先生とは接点も少なかったのですが、
二期目から現在までは、仙谷先生が、公明党の坂口力先生とともに取り組んでこられた「労働者協同組合法」の議員立法化に向けて、私が事務局長をしていた協同組合振興研究議員連盟で取り組むこととなり、野党系超党派議連から与党の先生方も交えた超党派議連を構成するに当たり、貴重なアドバイスをいただきました。
その後、私が主催している東京での勉強会にも講師としてお越しいただいたこともあり、政界の大先輩として、尊敬しておりました。
実は、仙谷先生と初めてお会いしたのは、実は、学生の時で、旧民主党の学生部を立ち上げた時でした。当時の佐々木りか秘書様に無理を言って学生主催の勉強会に講師としておこしいただき、会場近くの「つぼ八」で飲み会をしたこと、「そうだ、あいつを呼ぼう」ということで、急きょ枝野議員をお招きしてくださったことなど、懐かしく思い出されます。その後、就職したため、縁遠くなっていました。
私は凌雲会には所属しませんでしたが、仙谷先生の凌雲会に、立憲民主党の枝野代表や、前原先生など、現在はいくつかの党等に分かれてしまっている議員の先生方が集っていたこと思うとき、仙谷先生の器の大きさを感じます。
それとともに、たった1年間、別々の党に所属し、「もう二度と一緒に活動しない」と仰っている先生方が、十数年もの間、同じ党どころか、同じグループで政治行動をともにしていらっしゃったことを思えば、今後、同じグループに戻ることは困難にしても、一つの党にまとまることは、不可能なことではないように思います。もっとも、希望の党を結成した元凌雲会のメンバーが、公認権を振りかざして行った「刺客」や「排除の論理」については、仙谷先生の視点から見れば同じグループに所属していた人間が、元の仲間に刺客を立てたということであり、実に愚かな行為だったということが改めて浮き彫りになるかと思います。