閣議決定による解釈改憲にて集団的自衛権の行使が可能ということになった。
実際に行使するかどうかは、時の内閣が決定することであり、直ちに紛争に巻き込まれるということではないが、
今後、米軍の紛争介入に付き合わされる可能性が高いと思われる。
そうなると、日本もテロの標的になる可能性はたかくなるのではないだろうか。
イラク戦争に加担したスペインでの地下鉄テロは、100名を超す犠牲者が出た。地下鉄サリン事件の規模をはるかに上回る。
東京や大阪も、常にテロの恐怖にさらされることになりはしないだろうか。イギリスでも、大規模テロが発生したことがあった。
また、ベトナム戦争に加担した韓国に対して、今でもベトナム国民の好感度は低く、日本に対する好感度は髙いと言う。
軍事的な介入はその後の経済活動や外交関係に、後々まで影響を及ぼす。
私は、集団的自衛権の行使容認が絶対にだめだとは思わない。
しかし、今、本当に集団的自衛権の行使を、閣議決定・解釈改憲という手法を使ってまで行う必要があるとは思えない。
安倍さんが紙芝居で説明したような内容は個別的自衛権で対応可能なことばかりである。
米国から「集団的自衛権を行使し、米軍に協力しなければ日米安保を破棄する」というような切羽詰まった状況ではない。
紛争に参加することで一種の国家威信が高まるという効果もあるかも知れない。
しかし、その一方で、テロの標的ともなり得るなどのデメリットも損するであろう。
現在の日米安保体制は、敗戦とそれに続く冷戦の開始という極めて特殊な環境の中、戦後の政治家たちが考え抜いて築き上げてきたものだ。このような特殊な環境を米国をはじめとする諸外国も認めてきた。日本は米国が紛争に巻き込まれたときにこれに派兵しなくても、米国は日本を守らなければならないと言う片務的な体制が生まれ、維持されてきた。これは極めて恵まれた環境であった。
このような環境は、たしかに普通の国ではないかもしれない。そのことで一種のナショナリズムや威信が傷つく面はあるかも知れない。
しかし、普通の国ではない、恵まれた環境を自ら放棄することは却って国益に反するのではないだろうかと思われる。