みなさん、こんにちは。「最強寒波」が来ているそうですね。とっても今日は寒かったですね。静岡県でさえこの寒さです。きっと北陸や東北、北海道の皆様は大変なんだろうと思います。ご自愛ください。
静岡市の建設産業協会の賀詞交歓会に、今年は平山佐知子参院議員とともに、出席しました。メインテーブルで川勝知事ともご一緒いたしました。
連合静岡議員団会議、浜松地協賀詞交歓会、中遠地協賀詞交歓会に出席しました。連合静岡議員団会議の後のALWFトップセミナーでは、「嫌われる勇気」の著者の岸見一郎先生が、アドラー心理学について講演されました。講演を楽しみにしていました。著者の生のお話を伺えて、本当によかったです。
浜松地協賀詞交歓会では、ゆるきゃらの「出世法師直虎」とご一緒できました。今年は、浜松は大変盛り上がっていますね。ちなみに14日、郷土史家の小林佳弘先生の講演を伺いましたが、井伊直平の娘が今川義元の養女にだされ、その養女が今川一門の関口氏のもとに義元の養女として嫁ぎ、その関口氏と養女の娘が、徳川家康の正室、築山御前とのこと。家康は築山御前と信康を、織田信長の命で殺さざるを得なかったことを生涯苦しんだと言われています(これは諸説あって、むしろ家康が信長を利用して殺した説もあるようですが…)。小林先生は井伊直政が家康に重用されたのは、血縁もあり、どこか、徳川信康の姿を直政に重ね合わせたところがあったのではないかと推測されましたが、さもありなんと思います。
ちなみに、袋井市の可睡斎についても異説があります。家康の前で居眠りした住職を許したことから「眠るべし→可睡斎」となったと言われていますが、徳川家康が生まれる前から可睡斎の寺名があったとのことですので、通説はどうも違うようです。その可睡斎が家康から重用されたのはなぜなのか?異説では「眠るべし」とは、信康と築山御前のことであり、可睡斎にこの二人の供養をお願いした、というものがあります。信長、秀吉の手前、それをおおっぴらに言えなかった…。何ともできすぎた話のようにも聞こえますが、私は、なんとなく、この異説は本当ではないかなと思い、家康の心情がしのばれます。