「小笠郡に生まれて~榛葉賀津也参議院議員とのこれまで~」
②代表選
〇2015年の民主党代表選
2015年の民主党代表選も榛葉さんとの思い出の中で、印象に残っているものの一つです。2014年の選挙で海江田万里代表が惜敗されたため、代表選が行われることとなったのです。私は2014年の選挙で再選を果たしたばかりでしたが、この時は、静岡県内選出の人が立候補したので、榛葉さんとともに応援いたしました。
〇篠原議員の推薦人をお断りする
前回のブログで申し上げた通り、私は党内グループの「素交会」の設立メンバーであり、落選中も「素交会」の先輩・現職の皆様方の会合には出席し、鹿野道彦先生や篠原孝先生、大畠彰宏先生には、いつも励ましていただきました。2015年の代表選には、素交会の候補として篠原孝議員が立候補を検討していました。20名という必要推薦人のうち17名が既に集まっていました。篠原先生から推薦人になってほしいとの話がありましたが、本当に申し訳なかったのですがお断りいたしました。その後、篠原先生は、あと1名の推薦人を確保しましたが、20名に届かず、出馬に至りませんでした。その篠原先生が2017年の総選挙直前の両院議員総会において、議員全員の前で前原代表に「小山の選挙区で、希望の党に合流を決めるこの両院議員総会の2時間前に希望の党からの出馬表明した人がいる。小山に公認がおりるということを前原さん、みんなの前で約束してください。」と言ってくれたのです。篠原先生には、今でも本当に申し訳なく思っています(ちなみに篠原さんも私も2017年衆院選は民進党籍を保持したまま無所属で出馬)。
〇掛け持ち禁止を謳ったグループ
野党の代表選といえども、代表選で推薦人になることは、他の人間関係に齟齬をきたす可能性もあるのです。榛葉さんは静岡出身の代表候補を応援するべく、推薦人に名を連ねました。また、榛葉さんと私が所属したグループは、「他のグループとの掛け持ちは認めない」と公言していたので、榛葉さんは他のグループを退会して、このグループに参加したと聞いています。それだけ覚悟を決めて「この人を支えよう」「この候補を応援しよう」という気持ちだったと思います。ちなみに、私については、こののちも素交会と掛け持ちするのですが、それには背景があります。素交会が「代表選はどちらが勝つにしてもあまり差はない方がよい」という方針のもと、私達と同じ候補を応援したため、私たちの陣営は相当な議員票を獲得することができたのです。そのこともあって、私が掛け持ちすることを暗に認めざるを得なくなったのではないかと思っています。表向きは、「素交会をグループとは認めないので、小山が素交会に行くのはグループの掛け持ちではない」という、ある意味で失礼な理由を挙げていましたが…。
〇榛葉さんの男泣き
代表選は、私達が応援した候補は、接戦の末、敗れました。その後の集まりで、榛葉さんは、敗れた候補の肩を抱いて男泣きに涙を流し、最後までその場にとどまって候補を慰めていらっしゃいました。榛葉さんのこのような姿を見たのは、現在のところ、この時だけです。他の議員も熱心に応援していましたが、涙を流すほどではありませんでした。榛葉さんには、他の議員との関係が壊れてしまったものもあったかもしれませんし、どことなくこの候補を信じきれないところもあったのだろうと思います。それでもなお「この人を信じよう」と、いったん決めたからには、自分の選挙以上に熱を入れて応援されたのだと思います。自分に近い人が代表に選ばれることで影響力を強めようとか、賭け事をする感覚での応援であれば、いち早くその場を離れて酒でも飲みにでも行ったことでしょう。真心を込めて応援したからこそ流れた涙だったように私には感じられました。
榛葉さんの公式HPは以下より。
http://www.k-shimba.com/