「小笠郡に生まれて~榛葉賀津也参議院議員とのこれまで~」
①榛葉さんとの出会い
〇榛葉賀津也さんとの出会い
榛葉賀津也参議院議員と初めてお会いしてから、かれこれ15年にもなります。色々なことがありましたが、これまでのことを思い出しているうちに、私の接した、私の目を通した榛葉賀津也参議院議員について、そのままに書いてみようと思い、筆をとりました。「小笠郡に生まれて」という題名で、何回かにわたって、ブログ等に書いていきたいと思います。
榛葉議員とは、同じ小笠郡の出身、同じ政党に所属し、特に2012年以降の民主党や野党が苦しい時にも、孤塁を守るような思いで、ともに歩んできました。私にとっては、よき先輩であり、よき上司であり、よき兄のような存在です。だから、ここからは敢えて「榛葉さん」と親しみを込めて書かせていただきたいと思います。
〇静岡県議会議員選挙への出馬要請
「えっ、榛葉さんとお会いしてから15年にもなるんですか?12年の間違いではないですか?」と言われそうですが、実は、榛葉さんと初めてお話をしたのは、2004年1月のことでした。合併前の磐田市において、当時の民主党静岡県第三区総支部長から県議選出馬の打診をいただき、その件で榛葉さんとお電話でお話ししたことが最初でした。その時は、直接お会いしなかったのですが、とても情熱的にお誘いいただいたことを覚えています。その際には、磐田市が周辺自治体と合併することが決定していたこともあり、私は決心がつかず、出馬を辞退したのですが、今でも関係者に会うと「あの時は逃げたでしょ!?…」といじられることがあり、当時のことを思いだすと、関係者にご迷惑をおかけしたなと申し訳なく思っています。つい最近、ある地区の県議選の打ち合わせの際にこの時のことを思い出して、「あの時はすいませんでしたね」と榛葉さんに話したら「その代わりに衆議院議員も務めたんだからよかったじゃない?!」と笑い話になりましたが…。
〇2009年総選挙
2009年の総選挙では、榛葉議員のみならず、榛葉議員の後援会の皆様にも応援していただきました。地盤・看板・鞄のない私が、曲りになりにも衆議院議員として2期当選し、議員活動できたことは、榛葉議員と榛葉後援会(榛葉賀津也と歩む会)の皆様の応援なくしてはありえません。また今でも後援会の皆様にも応援していただき、また交流を重ねています。
〇榛葉さんは体育会系?
ところで、榛葉さんは、体育会系野球部の出身。選挙の応援の時など、熱が入ってくると野球部の先輩のようになられる時がありますが、きっと高校時代の感覚がよみがえってくるのだろうと思っています。普段の政治活動についての後輩への接し方は、少なくとも私に対しては体育会系のノリではなく、かなり自由に接していただいています。先述のとおり、強い応援をいただき、同じ地元で、期数を重ねた大先輩であるにもかかわらず、榛葉さんが「俺と一緒な派閥・グループに入れ」とか党内での政策議論の際に「この法案には賛否を同じにしろ」とか、そのようにお話になったことは一度もありません。「一般の社会では当たり前だ」と思う方もいるかもしれませんが、こういうことについて支配性の強い先輩議員は結構多いと感じています。
〇後輩に自由に政治活動をさせて見守ってくれた榛葉さん
私は1期目には鹿野道彦元農相を会長とする素交会の設立メンバーとなって参加し、2期目に至っても素交会に在籍し続けることができました。2期目の際には、現在は自民党に行ってしまった人が会長だったグループに、同じ静岡県選出という理由だけで榛葉議員とともに参加しましたが、榛葉議員から強く要請されたために参加したわけではありません。その後も、素交会と掛け持ちしていることについても、全く自由にさせていただきました。
私は、派閥・グループ活動や政策・法案の党内議論については、本当に自由に、気持ちよく活動させていただき、また成長することができたと思っています。榛葉さんはそっと見守っていてくださいました。その意味において、榛葉さんには、心から感謝しています。
榛葉賀津也さんの公式HPは以下より。
http://www.k-shimba.com/