本日は、菊川市のアエルにおいて、報徳社全国大会が開催されました。
私も大日本報徳社の個人社員なので、一社員として出席しました
なお、報徳社の方より、「もう少し早く事務局にご連絡すれば、来賓扱いにしたのに…」と言われてしまいました。
落選中の私に、そのようにご高配頂いていることに、改めてありがたく思いました。
ちなみに、私は、二宮尊徳思想研究議員連盟の事務局長として、国会において二宮尊徳思想・報徳思想の普及に微力ながら尽くしたつもりです。もっと報徳勉強会ができればよかったと思っていますが…。地元日程を優先し、なくなく地元に帰ったことも多々ありました。
私が事務局長の時に、栃木県知事だった福田昭夫議員が会長を勤めているのですが、当該議連を超党派にしました。
会場では、磐田南高校の恩師の先生にもお会いすることが出来たほか、
なんといっても農林中央金庫の先輩でもある藤本将さん
(今年6月の掛川青年会議所の例会にも講師としておこしいただき、当ブログでもご紹介いたしました)
にもお会いすることが出来ました。
藤本さんは、北海道報徳社の代表の方を会場までご案内されたようでした。
報徳の考え方=二宮尊徳の思想、仕法(経営手法、農村復興手法)は、日本の近代社会の発展の基礎となりました。
全国に出来た報徳社は、経済事業面だけでなく、金融面においても農民を支援し、
また、「小さな政府」の役割しか果たしていなかった幕府や諸藩に代わって、
村人たちの推譲(寄附・貯金に近いもの)で集めた資金で、トンネルや河川改修などの公共事業も行いました。
報徳社を解体したのは、かの有名な柳田国男です。欧米型の産業組合(産業組合では利子をとるが報徳社の金融は利子を取らない)を普及させるために、前近代的とみなされた報徳社よりも、産業組合の振興を、明治政府は図るようになりました。
皮肉にも、この産業組合に、報徳社の考え、理念が受け継がれています。
産業組合は、戦時体制の最中、農村金融と都市部金融に分かれ、都市部金融が現在の信用金庫となり、農村金融が農協・漁協の信用事業部門の前身となりました
ちなみに、農村金融は「農会」という戦前の農村政治団体と統合され、「農業会」となり、戦後、GHQ指令によって改組され、農協となりました。
(農協は、経済事業から始まったのではなく、報徳社に源流を持つ金融事業と経済事業の両輪として始まったのである。むしろ、人によっては金融事業こそが、高利貸しに対抗することが目的として創設されたライファイゼンバンクを源流という人もいるくらいである。この点、愚かな日経新聞など全く歴史を認識しておらず、このような偏向報道によって、「農協は金融事業を辞めるべき」などの間違った風説が流布している。)
経営面においては、分度・推譲・勤倹の考え方は、トヨタの労働・感謝・奉仕の精神に受け継がれたとも言われ、まさに日本の経済・経営の原点ともいうべきものだと思います。松下幸之助も、二宮尊徳をよく学んでいたと言われています。
「経済なき道徳は寝言である。道徳なき経済は犯罪である」などの言葉も報徳思想から生まれました。東洋思想において、儒学が、上から目線の支配層からの思想という要素がみられる一方で、尊徳の考え方は、農村・農民の視点からの道徳であることが特徴的であると本日の会において、榛村純一社長は、語りました。
日本経済、そして日本型経営の原点である二宮尊徳の考えを今一度学び直し、現代に生かす時が来ているように思います。
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