8月20日、磐田市鮫島海岸にて、緑十字機不時着の碑の除幕式が行われました。緑十字機は、以前にも書いたことがありますが、玉音放送が流れた後、日本の休戦協定を結ぶ軍使としてマニラに派遣され、東京に帰る途中に燃料不足で鮫島沖に不時着した機です。当時の鮫島の皆様が懸命に助け、軍使一行はわずか8時間遅れて東京に帰着することができました。当時の皆様がご存命のうちに、そして鮫島を訪れる方に案内するために、今回、記念碑の建立となりました。
式典には浜松基地司令のほか、磐田市長、静岡県知事(代理、西部支援局長)、磐田市副議長(議長代理)をはじめ、多くの皆様が駆けつけました。戦後、初めて米国と接触した日本の政府使節が最初に降り立った本土が磐田市鮫島でした。まさに戦後の日米関係は磐田市の鮫島海岸から始まったと言っても過言ではありません。先人たちへの感謝と平和を語り継ぐよい機会に、これからもなっていっていただきたいと思います。
母校の静岡県立磐田南高等学校の同窓会総会が行われ、出席いたしました。大学の先輩でもある青島先輩、寺田先輩と記念撮影いたしました。夜は、同級生で楽しい時間を過ごすことができました。同級生・同窓生はいいですね。
沼津市霊山寺を訪問。ここに遠州国府の蓮光寺に今川了俊が寄進した釣鐘が現存しています。写真で拝見したことはありましたが、実物をみて感激しました。いまでも除夜の鐘で使用されているとのこと。昨年のいわた大祭りのテーマにもなりましたが、今川了俊や当時の鋳造した皆様の息遣いが聞こえてくるようでした。