6月23日、川勝平太候補の応援に民進党衆議院議員の篠原孝先生が駆けつけてくださいました。私が設立メンバー、チャーターメンバーである、民進党内グループ「素交会」の先輩議員であり、私の応援演説等がなくても、素交会の篠原先生であれば、駆けつけて同行しなければと思いました。そうしたところ、図らずも応援演説をさせていただくこととなりました。尊敬する篠原先生とともに、これまた尊敬する恩師の川勝平太知事の応援演説させていただけるとは、感無量でした。
篠原先生は、身内思い、後輩思いで、ご本人の演説を3分削って、私に場を与えてくださいました。こういう配慮、情こそが、派閥やグループのもっとも根幹だと思います。また、当日は福村隆第1区総支部長が司会をしていただき、これまた、大変なご配慮をいただきました。福村さん、ありがとうございます。
篠原先生と川勝知事は、知事が学者の頃からの旧知の間柄であり、川勝候補本人の要請によるものとのことでした。また、篠原先生も、副大臣当時、民主党政権時代の農政の審議会員に川勝平太県知事を任命したこと、もともと長野県知事に就任を要請していたが、断られて、静岡県知事になったことなど、浅からぬご縁とのことでした。
先日は、小池都知事が応援に来たとのこと。東京の顔ともいうべき小池知事と、農業者戸別所得補償制度の産みの親であり、農業関係者にはファンも多い篠原先生が、ともに川勝平太県知事の応援に駆け付けるということは、川勝平太県知事の懐の広さ、見識の深さ、幅の広さを表していると思います。
川勝知事は、ご著書の中で、「東西文明の調和を図るのは、日本の使命」ということを書かれております。そして、東洋文明の粋は京都にあり、近代西洋の粋は東京にある。まさに静岡こそ、東西文明の調和をはかる日本の中において、その調和を図る地理的条件に適合した地だと思います。遠州地方は東西交流の地で、祭典などを見ても東西の両方の祭典が存在します。また、駿府こそ、徳川家康が大御所政治を行った地であり、大御所時代の10年間は、駿府に首都機能があったといって過言ではないと思います(すんぷ博で家康人形がそのようにしゃべっていたことを覚えています)。川勝知事には、東京を受け継ぎ、新たな地方の時代を先陣を切って開いていただきたいと思います。